このエントリーをはてなブックマークに追加

岐阜県パワーリフティング選手権大会 参戦記

読者の皆様こんにちは。

寒さの厳しい季節となりましたが、如何お過ごしでしょうか?
ボディメイク目的で、夏場ジムに通っていた人達にとっては、厚着になりモチベーションもダウン。

外の寒さも相まってなかなかジムに足が向かないなんて事もあるのではないでしょうか?

そんな中、私事ですが、先月末の11月29日に岐阜県美濃加茂市にて行われた、岐阜県パワーリフティング選手権大会に参加してきました。

今回はその大会までのトレーニングと試合内容を振り返りたいと思います。

【岐阜県パワー参加までの経緯①ブランク&怪我からの復帰】

私は仕事の関係で3年前より、住民票を愛知県に移しております。

それと同時に、パワーリフティングの練習もなかなか思うように出来なくなり、ここ2年間は一昨年に愛知県岡崎市で開催された東海パワーに93kg級で出場(優勝:637.5kg
)、昨年に同じく愛知県岡崎市で開催された愛知県パワーに83kg級で出場(2位:620kg)。

この2回だけでした。

トレーニングの内容も試合前の2ヶ月ぐらいで思い出したかのように3種目をやり込んで無理やり出るような調整で、本気で取組んでいたとは到底言い難い日々を送っていました。

しかし、昨年の愛知県パワーで、若い選手に敗れた事で自分の中でスイッチが入り、昨年末は久々にキチンとサイクルを組んで充実したトレーニングを行いました。

「もう一度本気で取り組み国際大会を目指そう」そう思った矢先の12月31日に高熱を発しインフルエンザと診断されました。

1週間仕事もせずベッドで寝たきりの生活を送り「さぁ仕事とトレーニングを再開しよう」と立ち上がった時に臀部から脛までにかけて、鈍痛と痺れが走りました。

腰椎の椎間板ヘルニアの再発です。

恐らく年末に無理なトレーニングを行った事と、1週間完全に寝たきりの生活で筋力が低下した事が重なって起きた症状でしょう。

幸い、職場で理学療法士や鍼灸師の同僚から治療を受けて、何とか仕事は継続して行う事が出来ましたが、とても自分のトレーニングを行う余裕などありませんでした。

少し症状が回復してきたのは2月の上旬でした。

仕事が落ち着き自分のトレーニング時間もかなり確保出来た事から、この2月上旬から4月までの間に、とにかく筋量を取り戻そうとボディビル的なトレーニングを週3~4回行いました。

内容はコントロールした動作で10~8レップスを各部位3~6セット。

可動域の広いダンベルでのエクササイズをメインに行い、決して重い重量を扱おうとはせず、軽いものでも重く感じるような工夫をしてトレーニングしました。

イメージは毎回強烈な筋肉痛が来るような事はせずに、その代わり必ず毎週各部位をトレーニング出来るよう回復させられる範囲で刺激を与えました。

また、ヘルニアの再発を予防する為に体幹部の支持力を強くするようなトレーニングを必ず取り入れるようにしました。

肩や首など長年ほったらかしにしてきた怪我にも向き合い、元々持っている左右差や筋力のアンバランスを矯正するような種目も試しながらトレーニングを行いました。

更に、パワーリフティングの83kg級、或いはボディビルディングの75kg級に出場も見越して食事もなるべく低脂肪、低炭水化物のものを選び、有酸素運動も少しずつ行うようにしました。

その結果、3月上旬にはバーベルでのスクワットを再開出来るまで腰の具合は良くなりました。

3月の中旬にはナローでのデッドリフトも再開。
重量は60kg10回5セットからですが、他の種目では得られない強い刺激にBIG3の重要性を再認識します。

4月に入るとついにバーベルでのベンチプレスを再開しました。

内容は60kg20回3セット。

2ヵ月半ダンベルで大きく可動域を取りながら行い、肩のトレーニングもおこなって来た事で柔軟性と左右差が改善され痛み無く再開する事が出来ました。

その後もバーベルでの3種目とダンベルでのトレーニング、コアスタビリティトレーニング、有酸素運動。

これらを組み替えながらトレーニングを継続し、7月上旬にはスクワットは180kg、ベンチプレスは140kgがあげられるまでに回復しました。

残念ながら子供と坂道ダッシュをしていてハムストリングスを肉離れしてしまった影響からデッドリフトは150kgまででしたが(苦笑)

とにかく順調に3種目が行える様になったので、この頃から頭の中にパワーリフティングでの競技復帰を思い描くようになっていました。

また、時を同じくして、ライバルであり友人でもある愛知県の神野選手から、このSBDコラムを紹介頂き、自らがコラムを書きSBDのTシャツやニースリーブを使う事で、モチベーションも向上し、競技復帰への思いが日増しに強くなっていきました。

【岐阜県パワー参加までの経緯②ターゲットを決める】

復帰する大会を決めるにあたって、まず考えたのは11月8日に行われた愛知県パワーでしたが、仕事や家庭行事とのバランスを考え、これはパスしました。

来年の岩手国体代表を目指すのであれば出場必須の大会でしたが、職業柄、9月に私用で岩手に行ける可能性は極めて低く、目標設定としてあまり現実的ではありません。

また、せっかく国民体育大会に出場するのであれば、故郷兵庫県か自宅のある大阪府の代表として戦いたいという思いがあるので、あまり愛知県代表にモチベーションが沸かないというのも事実です。

ですので、先の目標を国体ではなく、2月のジャパンクラッシックに定めました。

昨年私が出場した愛知県パワーは11月でしたので、来年2月のジャパンクラッシックに出場する為には、どこかの大会で標準記録以上の記録を残す事が必要となります。

その為、ちょうど仕事の無い日に、私の現住所から当日移動で行ける岐阜県美濃加茂市で行われる岐阜県パワーにエントリーしたわけです。

【岐阜県パワー参加までの経緯③トレーニングサイクル】

岐阜パワーから数えて15週間前、つまり8月24日から準備を始めました。

私の準備方法は少し他の人と違うかも知れませんので一応ご紹介しておきます。

中期的筋力強化戦略
(Medium-Term muscle Strengthening Strategy)

・佐名木式MTSS

資料1

作り方は、まず試合であげる目標を設定して、その目標とする数値をあげる為に必要な3RMの数値を算出します。

そして、その3RMを試合の前週・又は前々週に、クリアするように2週間の準備期間を設けます。

資料2

そして次に試合で目標とする数値をあげる為に必要な5RMの数値を算出し、同じように2週間の準備期間を設けます。

資料3

更に8RM、10RMと作って行きます。

資料4

資料5

今回は下地となる筋のサイズそのものを取り戻したかったのと、腰や膝を痛めないようにフォームをしっかり作り直すために10RMまでの準備期間を長く設けました。

この方法の良いところは、身体に重りを段階的に慣らす事が出来ることと、数週間毎にクリアする回数が変わるので飽きが来ないこと。

また必ず3週間のうち1週は、フォームを修正したり、疲労を回復させたりする週が来るというところです。

この強度が落ちる週に、例えば弱点部分を補うような種目を取り入れたり、新しいニースリーブを試したり、ベルトの穴を変えてみたり、または練習量を落としてマッサージに行きまくってみたり、などなど。色々な工夫を凝らしながら次の目標に向かって準備します。

ただし、このスケジュールも大枠に過ぎませんので、実際には当然、体調や仕事や家庭行事のスケジュールに合わせて微調整や修正を繰り返して行きます。

ポイントは明確な目標設定と小さな達成感を得る事。そしてやり過ぎない事です。

【岐阜パワー当日】

前記したトレーニングサイクルを全て消化できた種目もあれば、そうでない種目もありましたが、ある程度良い準備が出来たという手応えを感じて当日を迎えました。

しかし当日の朝の体重は82.2㎏と予定よりもかなり軽い状態でした。

実は前日の仕事中に殆ど水分摂取が出来ず、食事も良いものが摂れなかったために大きく計算が狂ってしまいました。

会場までの移動中にOS1という経口補水液500mlとそのゼリータイプ1個、菓子パン、ウエハースタイプの軽いプロテインバーを摂取しましたが、検量時の体重は82.15㎏でした。

試合会場は全日本ベンチが行われた美濃加茂市中央体育館ではなく美濃加茂市西体育館という小さな体育館でした。

当日の岐阜県美濃加茂市は外にいると吐く息は白く、手が悴むほど寒かったのですが、この体育館には暖房設備も無く、トイレも和式のみという状況で私が過去に試合をした会場の中で最も過酷な条件では無いかと思いましたが、これも2月のジャパンクラッシックのための予行演習だと思い、気持ちを切り替えて臨みました。

【スクワット】

10時に開会式があり10時半から試技開始という事で、開会式終了後にスクワットのウォームアップを開始しましたが、ウォームアップスペースの足場があまり良くなかったので、既にセットアップされていた試合会場でのウォームアップを選択しました。

60-100-140-180-200㎏と順調にアップを重ねたところで試技開始時間になってしまったので最終アップの220㎏をアップ会場で行ってから第一試技に臨む事にしました。

今回は参加者が12名だったので、1グループで回りも早い事が予想されたので、少しこの時点で焦ってしまったのもあるのですが、なんとアップ会場でバランスを崩してしまい220㎏で潰れてしまいました。

少し精神的に動揺はしましたが、幸い怪我は無かったのでそのまま何食わぬ顔で椅子に座り順番を待ちます。

第一試技225㎏

久々の大会で、しかもアップ会場で潰れた後で緊張しましたが、軽く成功。

しかし左側の審判が赤判定で1番のカードをあげています。「あれっ?浅かったかな?」
特に気にする事もなく第二試技は手堅く230㎏を申請。

第二試技230㎏

第一試技とまったく同じ感触で軽く成功。

しかしまたしても左側の審判が赤判定で1番カードです。「そんなに浅いの?」

これはヤバいなと思い、第三試技は予定していた240㎏ではなく235㎏を申請し「白3本」に拘ったしゃがみをしようと思い臨みました。

あくまでターゲットは2月のジャパンクラッシックですので、ここで赤をあげられるような試技をしていてはいけないと思いました。

第三試技235㎏

気合を入れて臨みましたが、少ししゃがみ過ぎてしまい立てませんでした。

また呼吸の入れ方にも少しミスがありました、もしかしたら直前に体重が減り過ぎてしまったためにウエストの太さとベルトの加減が少し変わってしまったのかも知れません。

全体的に腹圧が十分かからずボトムで腹がスカスカした感じでした。

やはり先月のコラムにも書きましたが最終調整での体重コントロールが重要だと改めて感じました。

【ベンチプレス】

12名だけの大会なので流石にあっと言う間に試合が進んでいきます。

ベンチも同様に試合会場でのウォームアップを選択しましたが、私が最終アップをしたいタイミングで残念ながら先頭バッターの試技開始時間になってしまいましたので、最終アップはアップ会場に移動して行いました。

アップ会場用のベンチは一応同じパワーラインでしたがシートが大きく凹んでいて試合場のものとは感触がかなり違いましたが、140㎏を軽く1発あげてから試合場脇に戻りました。

第一試技145㎏

空気のように軽く成功しました。

練習でもこんなに軽くあがった事は無いのでビックリしましたが、やはり手堅く第二試技は150㎏を申請します。

第二試技150㎏

センターにラックアップしてもらい静止しましたが、いくら待ってもスタートがかかりません。

「もしかしてグリップが広くてリプレイスがかかるのでは?このまま疲労して待つより一度ラックに戻そうか」そう考えてラックに戻そうとした瞬間にスタートの合図がかかりました。

一瞬迷いましたが、もう行くしかありませんでした。

胸につけてプレスのコール。

なんとかグラつきながらも押切りましたが判定は赤3つ。

試技後にレフリーに確認したら、またしても左側のレフリー(スクワットと同じ人だったかどうかは分かりません)が手を下ろさなかったのでスタートをかけなかったと言われました。

左側のレフリーに確認すると、お尻が浮いていたとの事でした。

体が硬くブリッヂの下手糞な私にとっては初めての経験です。

当然第三試技は再度150㎏に挑戦です。

第三試技150㎏

お尻をベタッとつけてラックアップ。

第二試技を粘ってあげたので多少疲れもあり途中止まりかけましたが上手く肘を入れて回避。

無事白3つで成功です。

今思えば第一試技が軽かったからといって、第二試技を155㎏にジャンプアップせず、手堅く150㎏を申請しておいて良かったと思いました。

【デッドリフト】

そして休む間もなくデッドリフトです。

経験した事の無いハイペースな大会に戸惑います。

少し休憩が欲しい気もするし、早く終わらせてこの寒さから逃れたい気もするし複雑な気分です。

例の如く試合会場でアップをしますが、やはり私が最終アップに移ろうかと思う頃には最初の試技が始まりかけていました、しかしスクワットの嫌なイメージがまだ頭の中に残っていて、どうしてもアップ会場で最終アップをしたくなかったので、急いで最終アップ230㎏を引きました。

急いだので少し重く感じたものの膝のあたりまですんなりあがったのでそのまま引きあげようと思ったら、腰のあたりからミシミシミシという音とともに激痛が走ります。

やってしまいました。

ギックリ腰です。

本当にこんな事は初めてです。

急いでベルトを外し、ストレッチをしますが時既に遅し、痛くて腰を動かす事が出来ません。

しかしこのままではヤバいと思い、係の方に「重量変更って…もう駄目ですか?」っと精一杯可愛く聞いてみたものの当然駄目。

そうこうしている間にもどんどん試合は進み、順番は回ってきます。

「もうこうなったらやるしかない」腹を決めてベルトを限界までキツく締めて第一試技に臨みます。

第一試技245㎏

人間追い込まれると凄い力が出るものです。

245㎏驚くほど軽くあがりました。

腰の事を考えると、もうここで棄権すべきでしたが、あまりにも軽かったので「もう1回だけ奇跡が起こるのでは?」と思い第二試技は255㎏を申請しました。

第二試技255㎏

世の中そんなに甘くなく。

ピクリとも浮かず失敗。ここで第三試技はパスして試合終了。

【総括】

大会に向けての準備を振り返ると、最後の15週間に関して言えば充実した準備が出来たと言えますが、長期的に見ると何点か失敗した部分もありました。

まず最初に肩や腰の歪みやそれに伴う慢性的な怪我を改善しようとデッドリフトをオルターネイトグリップで行う事を避け、リストラップを使用して順手であげる方法を長くとってきましたが、身体をバランス良く鍛えるという目的には確かに良かったのですがパワーリフティング競技者として考えると多少グリップが弱くなってしまいました。

また試合の準備期に入ってからも仕事中に右手の小指を脱臼してしまったのもデッドリフトのグリップ強化を遅らせる結果となってしまいました。

元々手が小さくグリップに不安があるので、今後は今月の神野選手のコラムでも紹介されていたフックグリップも試しながら準備していこうと考えております。

そして今回の最大のミスは、大会直前の体重とトレーニング量の調整でした。

1週間前には既に83㎏を切っていたので、もっと積極的に食べるべきでしたが、疲労を完全に抜いて試合に出てみようと練習量を極端に落としたために、逆に食べるのが恐くなってしまい、結果、体重が落ち過ぎてしまい、大会2日前に82㎏を切ってしまいました。

その影響もあり、当日腹圧が弱く感じ、スクワットの不調とデッドリフトでの怪我の一因にもなったと考えられます。

勿論この体重減は仕事の忙しさ等も影響する事なので一概に食事とトレーニング量だけが問題だったと言い切る事は出来ませんが、突発的な仕事の忙しさ等はアマチュア選手である以上、自分でコントロール出来るものではありませんので、だからこそ自分でコントロール出来る部分にもっと拘るべきでした。

また、試合勘も鈍っていたと反省せねばなりません。

試合会場や参加人数など事前にリサーチして防寒対策や短時間でウォーミングアップを済ませる練習を最終週で準備しておくべきでした。

若しくは試合会場に着いた時点で第一試技を最終アップに相当する重量に落として、第二・第三試技の二試技で勝負するように切り替えれば良かったと思います。

【最後に】

今回大会に復帰するにあたり、協力してくれた職場の方々やサポートしてくださった愛知県岡崎市のパワーリフティングジム“ちからこぶ”の皆様に心から御礼を申し上げます。

またこのSBDコラムの読者の皆様からも多くの力を頂きました。有難う御座いました。

現在試合から2週間が経ち、ようやく腰痛も治まりトレーニングを再開出来るようになりました。

次のジャパンクラッシックでは650㎏以上の記録が出せるように、また強化していきますので今後とも御声援のほどよろしくお願いいたします。

 

 

コラムニストやコラム内容についてのメッセージは下記のアドレスまでお送りください。

コラム用メールアドレス: column@sbdapparel.jp

※どのコラム宛かを明記してください。
※お送りいただいたメールの内容は、コラムで取り上げられる事があります。

■コラム執筆者

佐名木宗貴
ベスト記録(ノーギア)
スクワット 241kg
ベンチプレス 160kg
デッドリフト 260kg

戦跡
パワーリフティング
・全日本教職員パワーリフティング選手権 90kg級 優勝
・2009~2012年 近畿パワーリフティング選手権 4連覇 75・82.5・83・90kg級4階級制覇
・ジャパンクラッシックパワーリフティング選手権大会 83kg級 準優勝
・アジアクラッシックパワーリフティング選手権大会 83kg級 優勝
・東海パワーリフティング選手権大会 93kg級 優勝

ボディビルディング
2000~2001年  関東学生ボディビル選手権 2連覇
2000年     全日本学生ボディビル選手権 3位
2011年     日本体重別ボディビル選手権70kg級 3位
2011年     関西体重別ボディビル選手権70kg級 優勝

このエントリーをはてなブックマークに追加

関連する記事